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ESSAY エッセー

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第7回 「合理的な配慮」とは何か 2024.11.21

 私が学芸員として働き始めて数年が経過し、教育普及を専門とする部署に配属されることが決まった時、上司は私を呼び、新たに始める二つの仕事の担当を命じた。一つは美術館でのボランティア・スタッフの養成、そしてもう一つは視覚障がいの方を対象とした展覧会の実施である。今でこそ美術館ボランティアや障がい者向けプログラムは珍しくないが、1989年という時代にあってはいずれも画期的な発想であった。

 視覚障がい者のためのプログラムについてはアメリカが先行していた。私はフィラデルフィア美術館で企画された「Form in Art 美術の中のかたち」というプログラムを参考にして、関係者とも連絡をとって準備を進めた。単に彫刻を並べて、触れていただけばよいということではない。低い彫刻台を準備し、触覚的に導線を確保する。ドアを開放し、点字のキャプションを作成し、常に支援スタッフを待機させる。もし視覚障がい者の方が一人で来館された場合はどのように対応すればよいか、社会福祉協議会の専門家を招いて看視員だけではなく、職員全員が対応の方法について研修を受けたこともある。私たちはこのような試みを一度きりにはしたくなかったから、翌年以降も自分たちなりに改良を加え、このような展示に理解のある彫刻家に作品の提供を依頼して展覧会を続けた。今でも兵庫県立美術館では「美術の中のかたち」という小企画展が年ごとに出品者を違えて続いているはずだ。

 したがって私はこのような展示に早くから関わったという自負があった。しかしある時、視覚障がい者の鑑賞教育に長く携わっている方と話していて、自分の不明を痛感したことがある。目の見えない方が絵画を鑑賞されたと聞いて、私は思わずそんなことができるのですかと問い返したのだ。私には視覚障がいの方は触覚によってしか美術作品と関わることができないという思い込みがあったのだ。実際には全く目が見えなくても絵画を鑑賞することはできる。つまり誰かが傍らに立って、その絵について詳しく説明することによって見える方と同様に作品の世界に触れることができるのだ。比較的早くからこの種の展覧会に関わっていたはずの私でさえ目が見えなければ絵画は鑑賞できないという先入観にとらわれていたことを私は恥じた。私たちの美術館のブランドワードであるオープンネスを否定する発想であったことが今になればわかる。

 美術館は決して誰でも受け入れて来た訳ではない。視覚障がいのある方は最もわかりやすい例であるが、今もなお受け入れを拒んでいる人たちがいる。例えば乳児連れはどうか、あるいは発達障がいの方はどうか。正確には美術館が拒むというよりは、自分たちは美術館に入ってはいけないという自己規制によってこれらの人々は美術館と接点をもつことがない。しかしながら私はこれらの人々を美術館に招き入れることは美術館にとって死活的に重要ではないかと考える。何度も述べてきたとおり、美術館が多様性の場であって、自由の場である以上、彼らの存在は美術館の存在理由とも関わっているからだ。


 最近、「合理的配慮」というキーワードが美術館関係者の注目を集めている。昨年(令和6年)公布された障害者差別解消法の次の文言だ。「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない」法律の言葉は難しいが、要点としては、障がいのある方からの要望に対して私たちは対話を通じて個別に対応することが求められている。これまで私たちは前例がないとか、特別扱いはできないといった理由で要望をはねつけてきた。しかしてこれからは、このような対応は許されない。視覚障がいの方には彫刻に触れていただき、車椅子やストレッチャーを必要とする方にはバックヤードのエレベーターを用いて館内を移動し、あるいは発達障がいの方には事前に美術館についての詳しい情報を伝えるといった配慮とともに障がいのある方の要望にも個々に対応することが可能となる。私はこのような配慮は美術館においては日常的に求められていると考える。実際に例えば普及教育を担当するスタッフたちが昨年県立博物館で開催した「赤ちゃんたちのためのアート鑑賞パラダイス」はミーティングやワークショップを通して乳児とその保護者を美術館に取り入れようとした画期的な取り組みであった。

「赤ちゃんたちのためのアート鑑賞パラダイス」会場風景

 

 このたび「合理的な配慮」の重要性があらためて問題提起された意義は大きい。美術館においてこのような方向性は今や世界的な潮流となっており、私はこの言葉を国立アートリサーチセンターがごく最近配布したハンドブックによって知った。オープンネスを標榜する美術館として私たちはこのような心構えを常に抱き続ける決意である。おそらく世界はこれからさらに厳しく分断され、熾烈な差別が横行することになるだろう。多様性と自由を掲げる美術館は分断と差別に対する抵抗の砦でもあるからだ。

*「障がい」の表記に関しては鳥取県の表記基準に準拠しました。

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