第16回 中国のとある百科事典 - 鳥取県立美術館

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ESSAY エッセー

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第16回  中国のとある百科事典 2025.08.21

 ミシェル・フーコーの『言葉と物』の冒頭に、ボルヘスから引用された「中国のとある百科事典」のエピソードが出てくる。そこにはこのように記されているという。
「動物は次のごとく分類される。a.皇帝に属するもの、 b,香の匂いを放つもの、 c.飼いならされたもの、d.乳呑み豚、 e.人魚、f.お話に出てくるもの、g. 放し飼いの犬、h.この分類自体に含まれているもの、i.気違いのように騒ぐもの、j.覚えきれぬもの、k.駱駝の毛のごとく細い毛筆で描かれたもの、l.その他、m.いましがた壺をこわしたもの、n.遠くから蠅のようにみえるもの」
分類について論じながら分類という営みの無効性を説くこのテクストから遡及して、フーコーは私たちの思考の限界へと思いを馳せる。

 分類は美術館にとっても重要だ。私たちは作品を展示したり、収蔵したりする時、必ずそれがどのような範疇に入るかを確認する。絵画や彫刻、工芸や写真、あるいは書とデザイン、公募展の受付用紙には必ず作品が属するジャンルを記入する欄があり、ジャンルごとに審査員がいる。私たちは一つの作品が何らかの一つのジャンルに属することを疑わない。しかし果たしてこれは正しい理解であろうか。

 今、美術館で開かれている「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展―お化けたちはこうして生まれた―」をめぐりながらこのようなことを考えた。そもそも漫画が美術館の展覧会として取り上げられるようになったのは比較的最近のことだ。私の記憶では1990年に東京国立近代美術館が手塚治虫の展覧会を開いたことがその嚆矢であったのではなかろうか。国立の美術館が正面から漫画を取り上げた展覧会として、当時大きな評判となり、多くの入場者があったことを覚えている。しかし展覧会の対象であったにもかかわらず、この美術館のコレクションを検索するならば、その分類に漫画の項目はない。もともと漫画というジャンルは何をもって作品とみなすかという議論があり、作家の手による原画、それが掲載された雑誌のいずれに注目するかによって展示の形式も変わる。手塚治虫展では前者が重視され、多くの原画が展示されていたが、このたびの「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」では後者にも気を配った展示となっている。それでは漫画の原画が美術館に収集されることになれば、それはどのようなジャンルに分類されるだろうか。東京国立近代美術館の作品分類に「漫画」はないから、可能な項目としては「素描」「資料」「油彩その他」の三つがある。(ただし検索した限りにおいて、コレクションとして東京国立近代美術館に手塚治虫は収蔵されていない)

 逆に言えば、美術館は自らのコレクション分類を逸脱する作品も活動の中に貪欲に取り入れてきた。今では所蔵作品の分類に漫画を含まない美術館でも漫画を紹介する展覧会が次々に企画されている。建築はどうか。有名建築家の仕事を紹介する建築展も近年流行しているが、建築家の「作品」を収集しようとする時、何を作品とみなすか、どのジャンルに分類するか、漫画と同じ状況が発生するだろう。あるいは映像。実体のある「写真」は今や確固としたジャンルとして存在するが、「映像」を積極的にコレクションの分類に加えている美術館は今日でも少ない。そしてこの場合も記録媒体、上映形式、さらにインスタレーションのいずれの相を作品とみなすかについて議論が発生するだろう。しかし今や美術館が企画展として漫画や建築を取り上げることは普通であり、現代美術の展覧会に赴くならば必ず映像表現が伴う。つまり美術館はコレクションの本来の分類から外れる作品を次々に展示の中に取り入れている訳だ。

 ここまでの原稿を書くにあたって私は国立美術館のコレクションの分類を確認してみた。東京国立近代美術館には今挙げた「油彩画その他」の項目があり、京都国立近代美術館には「その他」に分類される384点の作品が収蔵されている。「その他」に分類される作品がいかなるものであるかについても関心が湧くが、最初に引いた「中国のとある百科事典」からも明らかなとおり、「その他」という項目は端的に分類の否定であるから、それが300点以上も存在する事態はかなり異様といってよい。もっとも現代美術にはかかる分類を無効にするような作品も多々存在する。興味深いことに現代美術を扱うことが多い国立国際美術館にはおそらく日本の美術館で唯一、「パフォーマンス」という分類項目が設けられ、現在2点の作品が登録されている。確か同じ美術館にはメル・ボクナーの作品も収蔵されていたはずであるが、概念を主題とした彼の作品は一体どこに分類されるだろうか。

  以前このコラムの「カテゴリーを壊す」という記事の中で美術館での展示が時に美術というカテゴリーを崩す契機となることについて触れた。作品の収集という営みもまた時が経つにつれて既存の分類を崩していく。美術館とは「中国のとある百科事典」をも体現しているのかもしれない。

「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展―お化けたちはこうして生まれた―」
水木しげるが描いた「妖怪画」およそ100点や、妖怪画を描くために収集した参考資料などを展示中。 8/31(日)まで。©水木プロダクション

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