第20回 マイ・フェイバリット 2025.12.21
鳥取県立美術館も開館して半年以上が経ち、倉吉という街になじんできた。同様に私たち、そこで働く職員もこの美術館になじんできた気がする。何度か特別展とコレクション展を開催することによって、展示に関するこの施設の使い勝手もわかってきたし、カフェから清掃にいたる来場者に対するサービスの在り方もおおよそ把握できたように感じる。
出勤した後、開館前に私は展示室を一巡するようにこころがけている。お客様を迎える前に展示室をチェックするためであるが、なにより作品と出会うのが楽しい。前身の博物館時代は常設展示室が狭かったため、収蔵品といえどもなかなか作品と対面する機会がなかった。広々としたいくつもの展示室に並べられた作品の多くは見覚えこそあるが、じっくり見た記憶があるものは少ない。なるほど美術館が開館するというのはこういうことであったかとあらためて腑に落ちる。
特別展示室は三階に設けられているから、通常私はまずエスカレーターで三階まで上がる。エレベーターもあるとはいえ、来場者にとってもこれはほぼ一択の通行だ。この上昇は日常から美術館という非日常への移行を暗示している。多くの美術館が導入にエスカレーターを用いるのはこの理由により、信楽のMIHO MUSEUMやロサンジェルスのゲッティ・センターではさらに劇的にかかる上昇が演出されている。一方で三階の特別展示室から二階のコレクション。ギャラリーへの移動は一通りではない。エレベーターを除いても、そこにはなお三つの選択肢がある。二つは室内の階段を用いる方法だ。特別展示室の出口と西側にそれぞれ階段が設けられている。多くの来場者はいずれかを用いて二階に降りるが、実はもう一つ、意外な経路がある。それは三階の展望テラスから一旦屋外に出て、外付けの階段を降りる方法だ。まず展望テラスが気持ちよい。この場所がこの美術館の特等席であることは誰しも理解できるはずだが、ドアを開けてテントの下、半屋外のこの場所へと歩み出る人は意外に少ない。そこには中ハシ克シゲによる二体の「触れる彫刻」《お出掛け犬》と《抱きつき犬》が設置されており、天気が良ければ正面に大山の雄姿を見ることができる。私にとってはそこから二階へ降りる階段こそが美術館の中で最もお気に入りの場所だ。横には大御堂廃寺跡の広大な緑地が広がり、町並みも一望できる、気候のよい季節に穏やかな日差しのもと、大御堂廃寺跡を見下ろしつつ展望テラスから二階へと下る気分は爽快このうえない。幾度となくこの階段を下りるうちに私は以前にもこのような景観との出会いを経験したことがあると気づいた。かつて勤務していた京都国立近代美術館、三階の常設展示、無料のロビーからの眺望だ。東に向かって広々とした窓があり、平安神宮の大鳥居、正面には東山を借景として向かいの京都市美術館が見渡せる。いかにも京都らしい景観であり、秋の時代まつりの折には平安神宮に向かう行列を見届けるための、知る人ぞ知る絶好のスポットとして多くの人が集う。このことに思い至るや、槇総合計画事務所によって設計されたこれら二つの美術館の共通点が理解される。それは建築が可能とした景観を無料で市民に提供するという発想だ。これは設計という作業の根幹と関わっている。なぜなら建築とはそもそもそこに住まう人、訪れる人に新しい視覚を与える営みと考えられるからだ。タワーマンションであれば上層階に行けば行くほど広大な眺望が与えられ、それゆえ階層の差は貧富や職位のヒエラルキーに直結する。J.G.バラードのSF小説、『ハイ-ライズ』のテーマだ。眺望の良い場所を囲い込み、特権化する欲望はほとんどすべての高層建築の核心にある。建築が階級を作り、格差を作り出すのだ。槇文彦による二つの美術館建築はその対極にあるとはいえないか。むろんいずれもたかだか三階程度の高さであるから特権的な眺望とはいえないかもしれない。しかしそこには建築によって可能となる格別の眺望を一部の関係者が独占するのではなく、市民に還元するという明確な意志が認められる。美術館という場においてかかる思想はとりわけ重要だ。先にこのコラムで美術館の本質とは自由であると説いた。誰であろうと訪れる者に素晴らしい眺望が与えられる建築とは、制限や特権とは無縁の自由さを体現している。このような構造をもった美術館を私はあまり知らない。

私は自由とは端的に多様性の確保、選択の可能性であると思う。私は狭い順路が曲がりくねった美術館、看視や警備員に狭いエレベーターの中に追い立てられる美術館が嫌いだ。館内を自由にめぐることが可能な美術館、特別展からコレクション・ギャラリーへの経路が三つもあり、天気がよければ外の階段、急ぐ時には館内の階段、自らの意志でたどるべき順路を選ぶことができる美術館はそれだけで居心地がよいではないか。かかる自由度は展示室の中で作品を鑑賞する気分に明らかに影響する。建築の良し悪しを論じたいのではない。美術館とは本来的にかかる鷹揚さを備えるべきだと信じるからだ。

