第22回 ワンス・イン・ア・ライフタイム 2026.02.21
美術館からほど近い、東郷池の湖畔にジグ・シアターというミニシアターがある。毎回、都市部でさえなかなかありえない渋いラインナップの映画を上映しているのだが、いつも一定数の観客が来場している。地方でもよい作品を紹介すればそれを楽しむ人たちが少なからず存在することは、私たちのように地方で美術館に関わる者を鼓舞してくれる。
最近上映されたのはレオス・カラックスの「ポンヌフの恋人」の4Kレストア版。カラックスは寡作の監督であるが、一時期人気があったこともあり、私は封切時にこの映画を見たことを覚えている。34年の時を隔ててさすがにストーリーはおぼろげだが。花火の下でのダンス・シーンや地下道の壁紙広告が燃え上がる幻想的なシーンは記憶にあり、一方で新たな発見もあった。無数に打ち上げられた花火は革命200年祭のページェントであったか。ヒロインのミシェルが掲げるロウソクの光に浮かび上がる絵画はレンブラントやジェリコであるから、彼女が迷い込んだのはルーブル美術館のはずだ。
関西で過ごした大学と大学院時代、私の週末の楽しみは映画館に通うことであった。私の関心の幅は広かったから、ハリウッドの超大作からミニシアターの玄人向けの作品まで何でも来いという感じで通っていた。当時、映画は映画館でしか見ることができなかった。レンタル・ヴィデオという制度が成立する直前のことだ。特にミニシアターで上映される作品は今見逃したら一生のうちに二度と見ることはできないかもしれない。私は強い切迫感とともにミニシアターにも足繁く通い、すべてを網膜と記憶に焼き付けようとした。当時、映画というのは不思議な形式に感じられた。封切時は多くの映画館で上映されているのに、人はたいてい一度しか見ることがないからだ。もちろん名画座に行けば旧作が繰り返し上映されていたし、TVにも「映画劇場」なる枠が週に何本も存在していたから、同じ映画を視聴することはできた。しかしそれらはあくまでも映画館や放送局の意向によって上映、放映されており、私たちに選択の余地はなかった。状況が大きく変わったのは今述べたとおり、映画がヴィデオやDVDとして再生可能になってからであろう。そして今やオンラインの配信機能を用いれば、見たいと思った映画をいつでもどこでも見ることができる。
このコラムの初回、映画とヴィデオを見る体験の違いについて記した。その際には観客という他者の存在と関連させて論じたが、以上の観点に立つ時、もう一つの決定的な違いがあることがわかる。一回性と反復性だ。映画とは一度きりの体験であり、同じ映画を二度と見ることがない場合さえありうる。これに対してヴィデオはそれ自体が何度も反復して視聴できるし、実際に私たちは映画館で見た映画をもう一度楽しむためにヴィデオを利用する場合が多い。今ではかなり多くの映画がヴィデオ化され、配信されているとはいえ、私が1980年代にミニシアターで見たマニアックな映画は、長い間、再上映もヴィデオも配信もなかった。テオ・アンゲロプロスの「アレクサンダー大王」やアンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」といった映画だ。(*1)ストーリーの大半は忘れてしまったが、生涯に一度しか見ていないにもかかわらず、これらの映画を見た際の鮮烈な印象は今もありありとよみがえる。

ひるがえって美術はどうか。実は美術館は一回性と反復、両方の体験の場である。一人の作家の回顧展といった特殊な事例を除いて、同じ内容の展覧会が開かれることはまれだ。私はこれまでに国内外で何百という数の展覧会を見てきたが、同じものは一つとしてない。以前、このコラムで展覧会とは選択と配置であると論じた。そこでは無数の選択と無数の配置の中でただ一組の作品が選ばれ、ただ一つの場所に並べられる。当たり前のようだが、実はこれもまた。人が一生のうち一度しか出会うことが出来ない奇跡のごとき体験なのだ。(*2)自分の人生を振り返る時、ワンス・イン・ア・ライフタイム、生涯に一度の出来事はさほど多くないことがわかる。私たちの人生は多くが繰り返し、反復なのである。
ちょうど今、イタリアではオリンピックでアスリートたちが競い、国内では多くの受験生が入学試験に挑んでいる。競技や試験、私たちは人生に一度しかない出来事に向けて生活の照準を合わせ、努力や研鑽を重ねることがある。むろんアスリートや受験生ほどの覚悟は必要ない。しかし二度と同じ体験が出来ないことを知って展覧会に足を運ぶ時、私たちはさらに研ぎ澄まされた感度とともに作品に向かうのではなかろうか。
この一方、美術館は反復的な体験の場所でもある。展覧会は一度きりであったとしても、私たちは美術館の中でしばしば同じ作品に再会することがあるからだ。紙数が尽きた。これについては別の機会に論じることとしよう。
(*1)今日ではいずれも配信で視聴可能である。封切当時からは想像もつかない状況といえよう。
(*2)近年、過去に開かれた画期的な展覧会を、しばしばデジタル技術を用いて完全に再現、追体験するという興味深い展示が国内外で続々と開かれていることを追記しておく。

